侍従とは
・侍従
侍従(じじゅう)とは、広義では(しばしば高貴な立場の)ある人物に付き従い、身の回りの世話などをする行為、または従う者そのものを指す。
日本においては、特に天皇に側近奉仕する文官や位を意味するため、この項目ではこれについて解説する。なお、武官による侍従武官については該当項目を参照のこと。
和名を「まへつきみ(まえつきみ)・おもとびと・おもとびとまちぎみ」、唐名は拾遺などという。
大宝律令 大宝令によると、侍従は、定員8名で中務省に属することとされた。平安時代に蔵人所が設置されてその役割が急速に縮小され、中世においては、侍従は専ら儀礼を担当することなり、天皇に側近奉仕する官としての色合いが薄れた。1869年 (明治2年)、宮内省に属することとなった。1871年にはその長として侍従長が置かれ、徳大寺実則・河瀬真孝・東久世通禧の3人が任命された。宮内省官制(明治40年皇室令第3号)によると、「侍従長ハ親任又ハ勅任トス常侍奉仕シ侍従職ヲ統轄シ便宜事ヲ奏シ旨ヲ宣ス」・「侍従ハ……奏任トス側近ノ事ヲ分掌ス」とされていた。
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・侍従 - Wikipedia
律令官制の侍従は、和名を「まへつきみ(まえつきみ)・おもとびと・おもとびとまちぎみ」、唐名は拾遺などという。 ... 中世においては、侍従は専ら儀礼を担当することなり、天皇に側近奉仕する官としての色合いが薄れた。 ...
・侍従武官 - Wikipedia
... (明治41年)12月19日に侍従武官長 ... 1922年(大正11年)11月24日-。裕仁親王に東宮武官長として仕え、裕仁親王即位後は侍従武官長となる。 ... (明治27年)8月27日 - 1896年(明治29年)4月3日(後に侍従武官長。 ...
・東京新聞:'昭和天皇の生活描く 海軍侍従武官の手記発見(TOKYO Web)
日中戦争開始前年から昭和天皇(一九〇一八九年)の海軍侍従武官を務めた故山澄貞次郎(やまずみていじろう)氏(七六年に七十九歳で死去)の手記を遺族が見つけた。 ... (昭和十一)年五月四〇年十一月の四年半、軍部との連絡役を担う海軍侍従武官(計三人) ...
・一章 小侍従序説
小侍従は石清水八幡宮護国寺二十五代別当光清(紀氏、のち検校、法印、権大僧都)の息女で、『続群書類従』七輯上の二一八頁以下にある『石清水祠官系図』には次のように記載されている。 ... 垂井にありとされる小侍従の墳塔の所在は現在不明。 ...
・明治天皇の初代侍従武官長
物往来社刊)のうち 「宮城退出後の事故 「初代侍従武官. 長 「葬儀」の三章を抜粋し抄録した。 ... この日 侍従武官長・岡澤精 くわし は 明治帝に華頂宮 かちょうのみや ... に親裁に仰がざるべからず、故に侍従に駢置 連なる するに、侍中武官を設く ...
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